OB File 蚊口昌也さん

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プロフィール

・名前 蚊口 昌也(かぐち まさや)
・生年月日 1993年5月5日生まれ
・現在勤めている企業名と肩書
公益財団法人 吉田記念テニス研修センター
テニスコーチ(U-14ならびにU-12の強化担当、車いすテニスの指導。2018年7月現在)
・出身高校名 東京都立豊島高校
・東京リゾート&スポーツ専門学校テニスコース卒業生

これまでたくさんの学生が、テニスコーチとしてリゾスポを巣立っていきました。その1人である蚊口さんは、世界ツアーで戦う選手を多く輩出する(公財)吉田記念テニス研修センター(以下TTC)でジュニアの強化担当コーチとして活躍している卒業生です。
今年で入社5年目を迎えますが、4月にはTTCからオーストラリア・メルボルンにあるナショナルトレーニングセンターに3ヶ月間、派遣されました。中学校1年生の時にテニスを始めた彼が人を育てるほどの実力を持てたのは、リゾスポで過ごした2年間、常に「厳しい道を選んだおかげだ」と言います。
TTCでU-14とU-12の男子ジュニア育成を担当し、プロのヒッティングを務め、車いすテニスのトップクラスの選手の指導も務める蚊口さんに話を聞きました。リゾスポでがんばればトップジュニアを育てるコーチになれるという希望が見えてきます。テニスに自信がある高校生にとって、日本テニス界の強化に関わる仕事は夢ではなく現実的な目標になるのです。

真っ先に言いたい!リゾスポで一番学んだこと

 蚊口さんとお会いして挨拶が終わったのもそこそこに、すぐにリゾスポで聞きたかったことを話していただきました。インタビューされたら、最初に話したかったことだそうです。

蚊口 ぼくがリゾスポで一番学んだことは、「どれだけ自分を律することができるか?」でした。それは、自分が働いている今でも同じです。昔、中本さんが話されたことなのですが、「目の前に2つの道がある。1つは平坦な道で、もう1つは茨の道とする。こんな時は茨の道を選べ。結局、そのほうが得るものが大きいから」とよく言われました。要は「ぬるま湯につかるな」ということです。その結果、厳しいほうの道をオートマチックに選んでしまっている自分がいます(笑)。もちろん、最初はそんなふうにはなれなかったですが、卒業して今だから言えることは、自分をコントロールする、自分を律する姿勢をリゾスポにいる間に持てたことです。自分が厳しい状況にいるのは当たり前になりました。

―厳しい状況というのは?

蚊口 例えば、お金がない学生がいたとします。そんな彼に土日にアルバイトに行くか、中本さんの講習会に行くかの選択があったとしたら、講習会を選ぶということです。どちらもメリットがあり、お金も大事ですが、それ以上に大事なのが経験だと思うのです。ぼくの場合、「中本さんはどうやって人を指導しているのか?」を知ることだったり、「人の前で説明する」とか「人の前でボールを打つ」というかけがえのない経験を選ぶことが将来の自分に必ず役立つと考えたのです。当時、友人たちは1日中アルバイトして、そのお金でみんな旅行するのが楽しみと言っていました。それはそれでいいと思います。ただ、ぼくはアルバイトに明け暮れる学校生活は送らなかったですね。

ボクシングの夢破れた中学生はテニスに目覚める!
そして、中本コーチの講習会に参加

―蚊口さんがテニスを始めたのはいつですか?

蚊口 中学校からです。硬式テニス部でずっとやっていました。実は、ぼく小学校の時からボクシングをやっていたんです。父が好きだったのと近所にジムがあったので通うになりました。自分で言うのも変ですが、けっこうボクシングは強かったんですよ。全日本クラスのジュニア大会で優勝したこともあります。でも、ある試合で負けました。その相手がのちに世界チャンピオンになった選手で、「これはかなわないな」とわかって、それからテニスに打ち込むようになったんです。そうしたら、テニスが楽しくてなって、ずっと続けたわけです。大会にも出場しました。けど、予選を勝ち抜いて都大会に出たものの、1回戦負けした程度でしたが。

―高校もテニス部ですか?

蚊口 そうです。そこはテニス推薦で入学できました。最高で東京の大会でベスト64くらいですかね(笑)。ベストをつけるなって感じですよね(笑)。予選は勝つけど本戦は勝てないというレベルでした。

―中本さんと最初にお会いしたのはいつですか?

蚊口 中学校の時です。ウインザーとヨネックスの講習会を受けた時に中本さんと初めてお会いしました。それから年に1回か2回は講習会が開かれていて、その都度、中本さんの話を聞いていました。

 

※ヨネックスは全国の中学校と高校に対して積極的にテニスを教える講習会を開催しています。その時、同社はアドバイザリースタッフ契約をしているプロあるいはコーチに講師を務めていただくように依頼するのですが、長年の実績と同社との信頼関係があって初めて依頼される重要な仕事なのです。中本コーチは、そんな数少ない指名者の1人。

―リゾスポ入学の経緯を教えてください

蚊口 中学校で受けていた講習会にはウインザーラケットショップの方がいて、お世話になっていたんです。お店によく行っていたし。その方といろいろ話せる機会があって、その中で「リゾスポに行ってみたら?」とアドバイスされ、リゾスポで定期的に開催されるオープンキャンパスに行ったんですね。行ったら、中本さんとアシスタント役の在校生がいらっしゃったことを覚えています。

―なぜリゾスポに入学しようと決めたのでしょうか?

蚊口 もともとテニスが大好きだったのと、将来はスポーツ関係の仕事に就きたいなと思っていたからです。それに、中本さんが「テニスコーチは食っていける職業でしかない!」と断言していただいたことで決めました。親は「テニスコーチで食べていけるのか」と猛反対だったのですが、中本さんの言葉もあり、最後は本人が選ぶことだから好きにしなさいと言ってくれました。

環境に適応できずにいた入学当初
それでも上達を実感してモチベーションUPの毎日

―リゾスポに入学された後、厳しい練習を積んだと思いますが、その時の気持ちはどうだったんですか?

蚊口 知り合いの先輩がたくさんいたのですが、ぼく、入学当初は身だしなみがあまり良くなくて、毎回先輩から注意されていました(笑)。髪の毛も長かったのですが、1回カットして先輩に見せたら「まだ長い!」と言われて2日連続で同じところで髪をカットしました(笑)。そんなこともあって、最初は適応するのがきつかったです(笑)。
ただ、「将来はテニスでやっていく」と決めていたので、テニスに対するモチベーションはけっこうありました。

―モチベーションは維持できたんですか?

蚊口 維持できました。むしろ入学からモチベーションは上がっていきましね。なぜなら、日々の練習で自分のテニスがうまくなっていることを実感できたからです。これが一番かな。そして、うまくなっているから、もっと練習したいという。この繰り返しだったと思います。

―リゾスポの2年間で一番思い出に残ったことは? 夏合宿や楽天ジャパンオープンの大会運営、他にも勤務実習などいろいろあったと思うのですが?

蚊口 全部に思い出があります(笑)。その中でどれかを選ぶとしたら、勤務実習でしょうか。東京都内のスクールにお伺いしたのですが、そのきっかけが1年の夏合宿だったんです。学生だけの合宿を企画して伊豆に行ったところ、たまたま隣のコートでテニスキャンプを行っていたプロに声をかけていただき、その方が運営しているスクールで働いてみないかと言っていただいたんです。中本さんの許可を得て、そこで勤務実習しました。結局、ぼくが考えている方向と違っていたので、そこには行きませんでしたが。

※勤務実習とは、学生が経験を積むためにスクールにある程度の期間勤務すること。授業ではコーチになるための練習を行い、その学んだことを現場で実践できるメリットがあります。
※リゾスポでは夏合宿を組んでいますが、蚊口さんの言う合宿はこれとは別に学生だけで企画した合宿のこと。当時、初めてのことだったので、宿やコートの手配から買い物できる近くのコンビニまで調べたりと作業が大変だったとか。今でも学生だけの合宿は続いています。
中本コーチは蚊口さんのリゾスポ時代を次のように語っています。

中本 当たり前のことですが、テニスは2年間でうまくなりました。入学した頃の両手バックハンドなんて、打ったらボールが自分のコートに跳ねていたほどひどかったんです。入れようと思うとかすれた当たりになっているし、苦手なサーブの練習になると涙ぐむし(笑)。存在感を消していました(笑)。
ただ、最初から他の学生よりはうまかったですよ。自分が教えていることに対して、他の学生は10のうち6割か7割で理解して良しとしていたのに対し、彼は8割まで理解できていて、残り2割ができない。それで悩んでいました。僕が言っていることの本当の意味を理解していた、というのが蚊口でした。ぼくの感覚に近いというのかな。
だから、残り2割をものにするためにヨネックスの講習会によくついて来ていたし、夏休みなんて毎日顔を合わせていたんじゃないでしょうか。
彼のような「学ぶ姿勢」はとても重要で、ボールを打つ以外のこういった考え方を普段からよく教えています。蚊口は、それをすぐに実行していましたね。夏休みも返上してぼくにくっついて来ていましたが、そういった自分への投資が大きければ大きいほど、あとで回収できるものも大きい。平坦な道と茨の道があれば、彼は常に茨の道を選んでいた。でも、それがあとあと自分に大きな恵みとなって返ってくる。彼が、その良い例でしょう。

自分の目指す方向に進める!
多くの内定を蹴って吉田記念テニス研修センターに就職

―吉田記念テニス研修センター(以下TTC)に就職した経緯を聞かせてください。

蚊口 いろんなところから内定はいただいていました。でも、自分の目標はテニスコーチになるということではなく、こういうコーチになりたいという具体的な目標があったんです。先日もリゾスポの学生たちに話したのですが、テニスコーチになりたいなら、アルバイトや契約であればリゾスポに行かなくてもなれると。あるいは、リゾスポを卒業できれば正社員で就職してコーチにはなれると。
でも、ぼくは卒業した先にこうなりたいという目標があったんです。リゾスポにいる間によく考えていて、コーチになったらおしまい、というわけじゃなくて、コーチとしてどう戦っていくかというか、どう生きていくかが大事だと思ったんです。そんな折、2年生の冬にTTCから岩見コーチと古澤コーチのおふたりがリゾスポに来られて説明会を行ったんです。新しいスタッフを補充してTTCでしっかり育てようと初めてリゾスポを訪ねたと聞きました。その時に岩見コーチから声をかけていただき、ぼくもTTCを見学して「すごいな! こういうところでやりたいな」と就職を決めました。

―自分はこうなりたいという場所だったわけですね?

蚊口 そうですね。ここが一番近道なんじゃないかと思いました。他に行っていないのでなんとも言えないのですが、自分の目指す方向に進んで行けるんじゃないかと感じています。今は、すごく順調に進んでいます。

―TTCで最初にやったことはなんですか?

蚊口 最初は、コーチと一緒に一般クラスに入ってアシスタントを務めました。研修ですね。クラスに入って、そのあとはフィードバックして、TTCのスタイルを定着させることが目標でした。約1年間続きましたが、自分の頭と体に定着させるのは本当にきつかったです(笑)。他にも、子どもたちへの接し方など先輩からよく叱られていました(笑)。そのせいか、当時は体重が激減して知り合いから「お前、やせたな~」とよく言われていました。

―その後は?

蚊口 2年目に正社員になって、ぼくは強化を希望していたのですが、残念ながら、すぐには強化に行けませんでした。しかし、岩見コーチと穂積コーチにすごくサポートしていただき、徐々に強化のほうにシフトできるようになりました。特に穂積コーチから、いろいろなことを教えていただくようになって強化担当クラスに研修として入るようになったのです。そして、周囲も「蚊口は強化担当クラスでイケるんじゃないか」ということになり、3年目の冬から正式に強化担当クラスのコーチになることができました。


※ 子どもにテニスを教える蚊口コーチ。先輩の厳しい指導で子どもへの接し方もOK

―入社してから3年目で念願の強化担当コーチになれたのですか! すごいですね!

蚊口 とにかく滅茶苦茶働きました。「ずっと1番の数字を出してやる!」と思ってやっていました。数字というのは、プライベートレッスンの数だったり、お客様の充足率だったりです。誰よりもコートの上に立って、誰よりもガットを張って(※)を、朝から晩までずっとTTCにいました。そんなことを続けられたのは、「早く強化に行くぞ!」という強い意志があったからです。全部の数字で1番をとったら、誰も文句を言わないだろうと。今も朝から晩までいますけど(笑)。

※リゾスポではヨネックスの全面協力によって、全豪オープンやオリンピックに行く川端プロストリンガーの講習を行っています。

―その甲斐あって、全部1番になったのですか?

蚊口 もちろん! 全部1番になりました。けっこうハードワークでしたけど、そこができて今があるので良かったかなと。強化担当コーチに任命された後、4年目からは車いすテニスの担当も任されるようになりました。私がメインになって日本車いすテニス界の草分け的存在の齋田悟司選手と日本ナンバー2の眞田卓選手のおふたりを指導しています。特に齋田選手とは毎日一緒に練習していますね。

※ 車いすテニス大会の会場にて。振り返って笑顔を見せているのは日本車いすテニス界の草分け的存在の齋田悟司選手

―強化担当クラスのコーチとして他はどんなことをされているのですか?

蚊口 プロのヒッティングパートナーを務めることもあります。これは岩見コーチが担当するプロ向けのプログラムの一環で、過去に美濃越舞選手、鮎川真奈選手、瀬間詠里花選手、男子選手では今は引退された志賀正人選手らと打たせていただいています。

積極的な自己アピールで実現した
オーストラリア留学

―今年4月にオーストラリア・メルボルンに留学されたと聞きました。その留学が決まったのはいつですか?

蚊口 去年の夏です。実は、22歳の時に10年プランを立てたんです。上司の穂積コーチから言われたことなのですが、最終的なゴールがどこにあるのかを自分で考えておきなさいとアドバイスされたんですね。そして、どういうプロセスを踏んでいくのかを自分の中で明確にしなさいと。
そこで、プランを立てて、入社して5年目に自費で構わないから海外に行くと決めていたのです。初めはTTCを辞めて行かないといけないかなと思っていたのですが、そうしたらTTCが行っていいよということになったのです。
それと、もう1つ海外に行くきっかけになったのがTTCで毎年1回開かれるスポーツ科学セミナーです。このセミナーは海外からコーチの方を招いて講義をしていただくのですが、昨年はヒューイットのコーチを務めたオーストラリアのクリス・ケイチェル氏でした。今はコーチを指導していて、クレーコートでの選手の育成に力を入れている方です。その方にマネージャーを通して自分が考えた英語の原稿を片手にお願いしたところ、後日連絡が来て招待していただいたんです。それが去年の秋でした。その前にTTCには海外に行きたいという話をしていて、トントン拍子に決まった感じです。

―どのくらい行かれたんですか?

蚊口 約3ヶ月です。クリスさんに全てセッティングしていただき、メルボルンのナショナルトレーニングセンターを始め、いろいろなクラブに行きました。滞在中はクリスさんのところに泊まっていたので、毎日クリスさんの個人セミナーを受けているようなものでした(笑)。今日はこんなことをしましたとか、聞いた話でわからない意味を聞いたりしていました。

―全部英語でやりとりしたんですか?

蚊口 ええ、そうです。でも、初めはまったく彼らの話す英語が理解できなかったです。雰囲気でわかったような感じでした(笑)。ぼくは人としゃべるのが好きなのですが、初めの1ヶ月はメルボルンにある外国人専用の英語学校に通っていましたが、うまくしゃべることができないし、相手が何を言っているのかわからない。もう地獄でした。話したくても話せなくて、ストレスがたまりました。

―今回が初めての海外だったのですか?

蚊口 実は、4月に行くと決まったのですが、その1カ月前の3月に下見に行こうと1人でメルボルンに行ったんです。ただ行くだけじゃ面白くないので、100人に声をかけて一緒に写真を撮ると決めたんです。道を聞いたり、おすすめの料理を聞いたりして、なんとか目標の100人を達成しました。
結局、英語に慣れてきたのは1ヶ月目くらいから。ようやく自分の言うことを伝えられるレベルになりました。


※ 3月は下見の目的で生まれて初めて1人で海外旅行へ。メルボルンでは100人に声をかけて一緒に写真を撮った。写真はその一部

―メルボルンのトレーニングセンターのスケジュールは? どんなふうに過ごしていたんですか?

蚊口 最初の1ヶ月は英語学校に通っていました。朝6時半にクリスさんと一緒に車で出発。学校で下ろしてもらい、午後3時まで授業。その後、午後4時半からテニスのセッションです。それが午後8時半まで続いて、それが終わったら自分1人で電車に乗って帰宅。そして、クリスさんにその日にあったことを報告したり学校の宿題をしたりという毎日でした。

―セッションというのは?

蚊口 15歳から18歳までの選手が6人入ってきて、そこにコーチが1人とフィットネスコーチが2人います。4面のコートを使って球出ししたり、トレーニングを指導するのです。そこに、ぼくが加わります。時にはコーチが知り合いのプロを連れてくることもあります。

―そこで蚊口さんはどんなことをしたのですか?

蚊口 最初は、彼らのレッスンを見てメモをひたすらとっていました。そして、レッスンの流れがわかるようになったら、今度は担当コーチから「マサ(メルボルンではこう呼ばれていました)、みんなの前でレッスン内容を説明してくれ」とチャレンジさせてくれます。この時間は選手にとっても勉強になるんです。彼らは、将来的に英語が母国語でないコーチと組む可能性もありますから。

―英語学校は最初の1ヶ月だけですか?

蚊口 ええ、そうです。2ヶ月目からはセンターで朝の8時半からお昼までセッションを行い、午後は1時半から2時間のセッション。その後はジュニアのプライベートレッスンだったり、選手とのヒッティングです。夕方からは再びセッションがあって、終わるのは午後8時半。帰宅した後もクリスさんと話したり、TTCへの報告書の作成をしていました。

※ メルボルンのナショナルトレーニングセンターにて。2ヶ月目に入って、蚊口コーチは1人で選手を指導できるようになった

―後半になると自分のポジションも変わってきましたか?

蚊口 はい。6週目くらいから、ぼく1人でコートをオーガナイズできるようになりました。その日に行う練習内容をコーチや選手と事前に打ち合わせて、コートで実践するんです。周囲のコーチもそんなぼくの力を認めてくれるようになって、他のコーチから選手のレッスンを依頼されることもありました。

年上で経験豊かなナショナルコーチ達の前で
自分の研究を英語で発表

蚊口 オーストラリアのセンターでは週に1回コーチミーティングがあるのですが、9週目の時にみんなの前で自分が研究していたスポーツマンシップについて発表しました。20人くらいいたでしょうか。もちろん、英語です。もともとTTC時代から自分で調べていたことで、センターの責任者にぜひ自分の研究を発表させて欲しいとお願いしていたんです。資料を英語に翻訳して、スライドを作って、当日は20分くらいしゃべりました。

―聴いていたコーチの反応はどうだったんですか?

蚊口 最高でした! 何よりぼくが伝えたかったことを理解してくれたのがうれしかったですね。ぼくのセミナーを聴いていた何人ものコーチから「ナイスセッション!」「すごく良かったよ!」と声をかけられました。

※年上の経験豊かなコーチの前で堂々とスポーツマンシップの研究を発表する。「最高の経験でした!」と蚊口コーチ
※蚊口さんの話を聞いていると、積極的にいろんな体験にチャレンジしている姿が目に浮かびます。慣れない英語を使って年上の経験豊かなコーチの前で堂々と研究を発表するなんて、なかなかできないことでしょう。蚊口さんは照れながらも「リゾスポの2年間でチャレンジする精神が培われたからだと思います」と言います。

 

蚊口 もともとぼくは何事もさぼっちゃうタイプなんです。努力して何かを成し遂げるなんて高校生まで好きじゃなかった。好きじゃなかったというか、人にやれと言われればやりますが、自分から好んでやるタイプじゃなかったんです。
でも、リゾスポに入学して、自分がすごく変わりました。当然、テニスもすごくうまくなるのですが、それ以上に人間性が変わりました。自分の人間性が高いとは思いませんが(笑)、マイナスからプラスに転じたかなと感じています。

―メルボルンから帰国したのはいつですか?

蚊口 まだ1ヶ月も経っていません。TTCには英語で書いた報告書を提出して(!)、先週にメルボルンの研修成果を発表したばかりです。学んだことはもちろん、TTCに参考になることも話しました。

―TTCでのスケジュールを教えてください。

蚊口 今はジュニアの育成がメインです。U-14とU-12の男子を教えています。また、U-10の育成も穂積コーチと一緒に行っています。あとは、車いすテニスの指導ですね。
朝は午前6時にはTTCに着いて、6時半からジュニアのプライベートレッスンを30分から1時間行い、8時半から2時間ほど車いすテニスのレッスン。その後は、一般クラスのレッスンや一般の方のプライベートレッスンをこなし、夕方4時半からU-10のレッスン、6時から9時までU-14のレッスンと続きます。その後もジュニアのプライベートレッスンが入ることがあるので、帰宅は夜中の12時くらいでしょう。

※ 蚊口コーチはTTCでU-14とU-12のジュニアを指導している。彼が教えているジュニアの中には全国大会で結果を出すジュニアも出てきた

―今後の目標をお聞かせください。

蚊口 今後10年の目標を立てています。それは、国が必要とする人材になることです。国旗を背負って仕事ができるコーチになりたいです。

 

テニスが好きな高校生たちへ
リゾスポでテニスと人間を成長しよう

―テニスが好きな高校生たちにメッセージをください。

蚊口 まだまだ自分は発展途上の身ですが、自分がジュニアや車いすテニスを指導するコーチになれたのは、リゾスポのおかげです。冒頭でもお話しましたが、自分の目の前に安易な道と厳しい道があれば、今は厳しい道を選ぶべきです。そうすれば、あとで自分の道がきっと開かれるはずです。

あと、人に感謝する気持ちを持ち続けること。このこともリゾスポ在学中に中本さんから教わったことです。自分が好きなことで生きていくためには、自分1人の力ではなんともなりません。周囲との関係が大事だと思います。周囲の人たちから「コイツ、がんばっている」と思われないと、次のステージには進めません。特に若いうちは自分のことだけしか見えないものですが、そんな時こそ自分が働いていることや経験したことは周囲の人のおかげだと気づくべきです。そして、必ず声に出して感謝の気持ちを伝えてください。そんな気持ちと行動が、自分の道を切り開いていくのではないでしょうか。リゾスポにいる間、そのことは中本さんから口が酸っぱくなるほど言われました。

最後に、リゾスポの1年生に会った時に話したことを述べたいと思います。その時に話したことは2つあります。1つはテニスコーチになることを最終目標にするのではなく、その次を見据えて日々の練習に取り組んでほしいということ。
もう1つは、先輩や同級生の言うことをまずは受け入れようということ。相手が言ったことが間違いだと感じても、すぐに拒否反応を起こさないことです。なぜって、自分では正しいと思っていることが実は勘違いだってことがたくさんあるからです。すぐに否定してしまうと、自分の視野が広がりません。相手だって、自分のことを思ってアドバイスしてくれているはずです。
いろいろ言いましたが、リゾスポテニスコースは視野が広がる場所であり、人間が成長できる貴重な場所です。もちろん、テニスもうまくなります。それは、ぼくが実証していますね(笑)。

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